杉並木

暑さ寒さもなんとやら、あと二週間もすれば涼しくなると期待をしていますが、今年の猛暑によって杉の成長が良く、来年は花粉が例年の約3倍ほどになるらしいです。杉といえば日光のとある場所での注意喚起の立て札です。

最後の二枚は不要・・・人間は「見るな」といわれると見たくなる、「夕鶴」の話しでもありました、覗くなと言ったのに覗いてしまうことが、何か制限されるとそれに背こうとする心理がはたらきますよね、心理学ではなんというんでしょうか?この立て札は具体的に言葉で石に触れてしまっています。多分以前に石を投げた人がいるんでしょう。 結果的に「石を投げるな」⇔「石を投げろ」とも見えてしまっています。下に駐車場があることが分かれば石を投げる人はいないとおもいますが、私もベランダで煙草を吸ったら、迷惑になるから吸うな!と注意をされました。だれにどう迷惑が掛かるのかどう考えても迷惑をかけている状況になく、よけいに吸いたくなります。(ベランダで喫煙を注意されたらもう喫煙場所はありません)お気の毒なこって

コメント / トラックバック 1 件

  1. びすとろ より:

    小さい頃、壁に落書きするな!と言われた僕は親の目を盗んで落書きをし、ずいぶん怒られました。
    でも、一度反発するとスッキリして落書きはしないようになるんですが、人は自由な行動を抑制されるという危機感を持つと自由を取り戻そうと反発する「心理的リアクタンス」が働きます。

    ですからこの場合、「石を投げると悲しむ人がいます」と良心に訴えるか「私は石を投げて怖いお兄さんにボコボコにされました…」といった防衛本能を喚起する体験談を掲示するといいのかもしれません。

    夕鶴の与ひょうも、心理的リアクタンスによる行動にでてしまったのでしょうが、実はあれ、恩返しのつもりでやってきた「つう」が恩返しという束縛から自由を取り戻す為に、与ひょうに仕掛けたトラップだと思うんです。
    心理的リアクタンスを利用し、覗くのを分かっていながら絶対覗くなと言います。覗いたらあなたの前にはいられないという決まりを与ひょうと自分に課すんです(勝手にこういう決まりを作る女性って多いです)
    そうすると、覗いた与ひょうは約束を破った自分が悪いと思い、つうも自分を正当化したまま自由になれるんですね。
    ケンカ別れするより美しい物語として後世に語り継がれますから一石三鳥です。

    でも日光で一石投げても良いことはなさそうですね…

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